2013年4月15日月曜日

まちかどエッセー#4 「赤と黒」

 漆には赤と黒しかないのですか?という質問をよく頂きます。確かに赤や黒は漆の色として最もポピュラーですが、樹液としてのそもそもの漆は白濁した茶褐色をしています。
 そこから不純物と一定の水分を取り除くと、透明感のある飴(あめ)色になります。ここに鉱物系の顔料を混ぜ合わせて色漆を作ります。現在では赤、黄、青の三原色と白の顔料があり、これに黒漆を組み合わせることで、絵の具を混ぜるように原理的にはどんな色も表現することができます。
 古代の遺跡から出土する赤い漆は弁柄(べんがら)、すなわち酸化鉄、つまりさびですね、これを比較的低温(800~1000度)で焼いて得られる赤い顔料で作られました。昔から赤い漆が多いのは、こうした天然の顔料が手に入りやすかったことが一因です。
 時代が下ると硫化水銀、天然では辰砂(しんしゃ)という名前の鉱物を原料とした銀朱と呼ばれる朱が使われるようになります。辰砂は丹砂(たんしゃ)や丹朱とも呼ばれます。現在でも「丹」がつく地名が日本各地に見られますが、これは赤い顔料が産出された地域の名残とも言われます。大崎市は丹取(にとり)郡と呼ばれた時代があったそうです。
 漆は硬化する過程で自然に黒褐色に変色します。鉄粉や油煙(ゆえん)などのすすを添加すると、さらに反応が進んでまさに漆黒と呼ばれる深い黒が得られます。世界にもまれに見るこの「黒さ」は中世ヨーロッパの絵師の心を捉えたといいます。教会の壁面や天井を彩るフレスコ画と呼ばれる障壁画は、白いしっくいを下地とするため、色彩の発色はとても良い一方で、黒の表現は「濃いグレー」に留まらざるを得ず、黒の表現に苦慮していたからです。
 現代では多彩な表現が可能になっていますが、赤と黒のどこか「しっくりくる」感覚は、漆の原風景の記憶としてわれわれの遺伝子に深く刻み込まれているのかも知れません。

→まちかどエッセー#5 http://kekitonji.blogspot.jp/2013/05/5.html

2013年4月1日月曜日

まちかどエッセー#3 「10年後の楽しみ」

 冬場は漆の乾き具合と色目の変化が気掛かりです。一般には「乾く」と表現しますが、厳密には主成分であるウルシオールが、空気中の水蒸気が持つ酸素を取り入れて重合反応を繰り返すことによって硬化します。水分や溶剤が揮発することによって「乾く」のではなく、化学反応によって「固まる」のです。その際一定の温度と湿度が必要です。特に湿度は約70%を下回ると反応が進まないので固まらない=乾かないということになります。乾燥しがちな冬場はせっせと加湿しないとうまく乾かないのです。
 ところが皮肉なことに、鮮やかな発色を求めると、少し低めの湿度でゆっくり乾かす必要があるのです。ここがなかなか悩ましいところです。仕上げの上塗りは作品の締め切りがチラついてきて焦り始める時期にやってきます。奇麗な発色にしたいからゆっくり(4~5日かけて)乾かしたいのに、日が足りない‥というジレンマに陥るからです。
 しかし、よほど慌てて乾かさない限り、実は乾いた直後の色目はあまり問題ではないのです。というのも、色漆(漆に鉱物系顔料を混ぜたもの)の発色は乾燥直後が最も彩度(鮮やかさ)が低く、時間とともに徐々に本来の発色にもどっていくのです。この「もどり」の変化が最初の1~2週間が激しく、その後何年もかけて徐々に鮮やかになってゆきます。骨董(こっとう)の朱漆の器が驚くほど鮮やかなことがありますね、「透けてくる」なんて言い方もします。年月とともに漆そのものの透明度が上がっていくのです。一方、顔料はほとんど退色しませんから、どんどん鮮やかになってくるという仕組みです。
 漆器は時間をかけて透明度を増し、徐々に「いい色」になってゆくのです。意外と知られていない事実です。10年前の自分の作品の朱の鮮やかさに驚くことがあります。さらに使えば風合いも増してゆきます。この「風合いが増す」というのは作る時点ではデザインも表現もできませんが、物との付き合いにおいてはとても大切な要素です。こうした生きた変化を未来に向けて生み出す漆芸は、まさに物に命を吹き込む仕事だと思います。

→まちかどエッセー#4 http://kekitonji.blogspot.jp/2013/04/4.html